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バランス感覚 #校長室

 4月1日と言えば、エイプリルフール。6月1日と言えば、衣替え!

学ランやブレザーを脱いでの登校

とは言っても、本校は生徒の健康を考え前後2か月をかけたゆっくりとした衣替えとなっています。

 さて、国語教師の性(さが)なのか、私の場合は衣替え(更衣)と言うと、どうしても源氏物語の「桐壺更衣」に発想が飛んでしまって、昨年の校長室でも同じ展開ですので興味があればご覧下さい→桐壺

 光源氏の実母となる桐壺更衣は、物語の冒頭で後宮の他の女性からひどいことをされます。悪口は当たり前、渡り廊下で前後の扉を閉められて閉じ込められたり、帝のところへ行こうとしたら廊下に汚物をまかれ着物の裾がひどいことになったり…。妬みや嫉みにより弱っていく桐壺更衣がかわいそうでかわいそうでというのがこれまでの授業展開だったりします。

 一方で、これをいじめ問題と考えるなら、当然、いじめ行為を注意し止める対処的な第1弾とはなりますが、その行動を起こさせる妬みや嫉みを起こさせる要因まで対応しなければ根本的解決にはつながりません。

 帝(たった一人の男性)のための後宮に暮らす女性たちには、厳然としたヒエラルキーがありました。そしてそれは、表(政治)舞台の家柄の序列と相関があり、彼女たちにとって、帝に寵愛を受け、皇子の母となるのは恋愛というよりは非常に政治的な問題だったのです。

 これが、自由恋愛の世界ならば、オードリー・ヘップバーンがかわいらしい映画「マイ・フェア・レディ」、リチャード・ギアとジュリア・ロバーツのやりとりがコミカルな「プリティ・ウーマン」などなどに代表されるように、裕福な男性に見いだされた女性の成功譚(ハッピーエンド)で終わります。番宣CMしか見たことがないのですが、橋本環奈・山田涼介のTBS火曜ドラマ「王様に捧ぐ薬指」も、紆余曲折ありながら同様の落としどころに行き着く筋書きなんだろうと思っています。

 話を戻すと、自由恋愛ベースの嫉妬として、後宮の女性を指導してもいじめ問題の解決には至らない。
 「はじめより我はと思ひ上がり たまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉(そね)みたまふ。」 この冒頭にある有名な一文が、非常に政治的な後宮にあって、ヒエラルキーの位置づけとしては下位にあたるたった一人の更衣を寵愛した帝の、政治的なバランスを欠いた行動にこそ、このいじめ問題の原因はあることを示していると思うのです。

 なので、自由恋愛の世界観でこれだけドキドキする物語を、平安の政治世界にいる貴族や後宮の女性は、私たちの想像を遙かに超えるドキドキ感ハラハラ感をもって、物語を読み進めていたに違いないと思っています。

 役職定年となり、教諭に戻って源氏物語「桐壺」の授業を展開する際、日本史の摂関政治などの授業とタイアップして、帝の行動の是非について検討するための読解授業が出来ないものかと夢想する衣替え初日の昼下がりでした。